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ジム・オルーク(James Henry O'Rourke, 1850年9月1日 - 1919年1月8日)は、19世紀のアメリカ・メジャーリーグの野球選手及び監督。主なポジションは左翼手。ほかすべてのポジションをこなしている。コネチカット州生まれ。右投げ右打ち。ニックネームは"Orator Jim"(弁士のジム)。 == 略歴 == 1872年からナショナル・アソシエーションのミドルタウンで野球を始める。1876年にナショナルリーグが創設されると、所属チームのボストンはリーグを移籍、オルークはナショナルリーグで最初の安打を記録した打者となった。 現役選手としての実働は1893年までの22年間で、それまでに2600安打以上を放つ(当時は現在よりも投手-本塁間の距離が短かった)。現役当時に遠投で365フィート(約111.2m)を投げることができたという(特筆すべきは、当時の野球のボールはまだコルク芯のない飛ばないボールだった事である)。 1894年以降はマイナーリーグでプレーしていたが、1904年に友人であったジョン・マグローの誘いで1試合だけナショナルリーグの試合に出場する機会を得る。最後にメジャーリーグの試合に出場したのは1904年9月22日だった。当時既にオルークは54歳だったが、その試合では4打数1安打1得点を記録している。同年現役を引退。その後はマイナーリーグのコネチカット・リーグの代表を務めていた。 1919年、69歳で他界。1945年、ベテランズ委員会がアメリカ野球殿堂入り選手に選出した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジム・オルーク (野球)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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